・雄物川の花火大会が今年中止。
・実行委員の高齢化で事務作業負担が増大。
・地域住民への影響と今後の対策検討が課題。
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実行委員の善意で成り立っていた地元の花火大会。
この雄物川花火大会の開催見送りを受け、
運営をボランティアから公的支援へとシフトすべきだという声が上がるのは当然の帰結である。
しかし、ここで一つ、慎重に見極めなければならない深刻なリスクがある。
それは、安易な予算化が「公金ブローカー」や、耳障りの良い言葉を並べるだけの「自称・地域再生コンサルタント」を呼び寄せる呼び水になってしまうという懸念だ。
地域の善意が限界を迎えた隙間を狙い、
自治体の予算を食い潰しながら実態のない「活性化」を売る勢力が介入してくることは、地方都市にとって最悪のシナリオと言える。
もし市が予算を出し、運営を外部委託する形をとれば、現場の負担は一時的に軽減されるかもしれない。
しかし、そこに入る業者が「地域の想い」よりも「自社の利益」を優先すれば、花火大会は単なる「消化すべき事業」に成り下がる。
彼らは実績作りのために、地域住民を置き去りにした奇抜な企画を提案したり、高額な運営委託費を請求しながら、実際の設営や準備といった泥臭い作業は再び地元のボランティアに押し付けたりする。
これでは、税金が特定の業者の懐に入るだけで、
祭りの魂である「地域コミュニティの結束」はむしろ破壊されてしまうだろう。
私たちが警戒すべきは、実態が伴わないまま「産学官連携」や「イノベーション」といった美辞麗句で飾られた、空疎なプロジェクトに予算が流れる構造である。
花火大会においても、同じような「横文字のビジョン」を掲げる外部勢力が、伝統を食い物にする危険性は常にある。
市長の「続けて欲しかったが仕方がない」という無責任な姿勢の裏で、こうした利権構造が入り込む隙が生まれているのではないか。
では、どうすれば良いのか。
必要なのは、単なる予算のバラマキではなく、運営の「透明化」と「プロ化」の共存である。
行政が予算を出すのであれば、それは「ブローカー」への丸投げ資金ではなく、
地域を熟知した地元の人々を「正当な対価を払って雇用する」ための人件費や、
専門的な事務局の維持費に充てられるべきだ。
外部の知恵を入れるにしても、それは主導権を渡すためではなく、
地元が主導し続けるための「技術的な支援」に留めるべきである。
雄物川の花火が再び上がる時、そこに灯っているのが「地域の誇り」なのか、それとも「利権の火」なのか。
私たちは厳しい目で見守り続けなければならない。
公金が投入されるということは、その使い道に対して市民が責任を持つということでもある。
「ボランティアの犠牲」を終わらせることと、「公金の浪費」を許すことは、決してイコールではない。
利権を狙う者たちに付け入る隙を与えず、
いかにして純粋な「地域の祭り」を公的な枠組みの中で守り抜くか。
今、秋田市にはその極めて難しい舵取りが求められている。

それにしても開催されないのは本当に悲しい。


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